▼これが『海辺のカフカ』から連想する四字熟語です
① 櫛風沐雨(しっぷうもくう)
雨風にさらされながら苦労すること、世の中の様々な辛苦にさらされることを、「櫛風沐雨」といいます。
『海辺のカフカ』は村上春樹作品の中でも珍しい、15歳の少年が主人公の物語です。田村カフカと名乗るその少年は幼少の頃に母と姉が失踪した経験を持ち、彫刻家の父と暮らしています。
彼はある日、家出を決意します。しばらくのあいだ家出の理由は明かされませんが、彼は口癖のようにこう言います。
「世界一タフな15歳にならなくてはいけない」
その為に彼は家を出て、一人で四国へと向かうのです。彼が家を出た理由は、厳しい家庭環境からくる「櫛風沐雨」の日々から逃げることなのか。それともたった一人で生きて「櫛風沐雨」を経験し、タフになることなのか。
物語が進むにつれ、彫刻家である父がカフカにある呪いをかけていたことがわかります。実の父親から呪いという厳しい試練に抗いながらも、カフカは「世界で一番タフになる」ための行動を起こすのです。
② 形影一如(けいえいいちにょ)
影と影がいつも一緒であるように仲睦まじい様子、心の善し悪しがその行動に表れることを、「形影一如」といいます。
「詩と象徴性は、古来から切り離すことはできないものだ。海賊とラム酒のように」
これは村田カフカが一時を過ごすことになる、甲村記念図書館の館員である大島の言葉です。カフカと名乗る少年と、カラスと呼ばれる内なる対話者の少年。
とある事故から文字の読み書きが出来なくなったナカタさんと、彼を支えるホシノ青年。カラスの言葉がカフカを動かし、ナカタの希望をホシノが叶えます。海賊とラム酒のように切り離せないこの二組は、自分たちの信念に沿って行動していきます。
その行動は時に他人に迷惑をかけることにもなります。しかし彼らたとえ誰かに迷惑をかけてしまっても、自分達が正しいと思うことをするしか選択肢がないのです。各々の想いと「形影一如」な行動を取る彼らは、物語をどのような方向に進めていくのでしょうか。
③ 雲煙過眼(うんえんかがん)
「雲煙過眼」とは、雲や霞がたちまち目の前を通り過ぎるように、わだかまりや悩みが消え、さっぱりした気持ちになることをいいます。
田村カフカは「父を殺し、母を犯(けが)し、姉を犯」します。ナカタは「猫殺しのジョニー・ウォーカーを殺し、ホシノに様々な手伝いをして」もらいます。この二組を繋ぐものこそが「入り口」の石と呼ばれるものです。
田村カフカは森の奥にある「入り口」を通過した後、自分を捨てた母に重ねた女性に対してこう言います。
「お母さん、僕はあなたをゆるします」と。
ゆるしの言葉に続き、彼の心のなかで凍っていた何かが音をたてる、と出てくるのですが、その音こそが、裏切られた絶望感からきていた憎しみが崩れていく音だったのではないでしょうか。入り口を通過し、母をゆるすことをできたカフカの心中は「雲煙過眼」のように澄み渡った状態だったはずです。
大島は、ホシノとの会話でベルリオーズの言葉を引用します。
「もしあなたが『ハムレット』を読まないまま人生を終えてしまうなら、あなたは炭坑の奥で一生を送ったようなものだ」
カフカの経験した長い葛藤は、まるで先の見えない真っ暗な穴蔵のようでした。それを乗り越えた彼は東京へと戻る決意をし、甲村記念図書館を後にします。
「またいつかここに戻ってきていいですか?」
そう言葉を残した彼にとってこの図書館こそが、ハムレットのように炭坑の奥深くを照らす唯一の光だったのではないでしょうか。