▼これが『羊をめぐる冒険』から連想する四字熟語です
① 会者定離(えしゃじょうり)
会うものはかならず離れるという、人の世の無情を言う言葉。これが「会者定離」です。
『羊をめぐる冒険』は1匹の特殊な羊を探す話であるとともに、喪失の物語でもあります。妻との離婚に始まり、旧友や仕事、100%の耳をもつガール・フレンドと、今まで手に入れてきた色々なものを失っていきます。最後まで残っていたのは自分自身だけなのか、自分自身すら失ってしまう事になるのか。
何かと出会うという事は、何かと別れることの始まりでもあり、別れはとても寂しく辛いものです。「会者定離」が運命なのだとしたら、人は誰かと出会わない方が幸せなのでしょうか。しかし主人公は幸せではない未来がくるとわかっていながらも、受け入れて進んでいくしかないのです。
② 千思万考(せんしばんこう)
「千思万考」とは、さまざまに思い巡らせること。あれこれ思い、考えること。
物語が進むに連れ、様々な出来事が複合的に絡み合ってきます。
政界の黒幕という漠然とした巨大な存在や、羊男という不確定な人物、急に消えてしまうガール・フレンド、友人の思念とその別荘。そういった印象深いもののなかで際立って頭に残るのは、ただそこにいるだけの存在として描かれている猫です。
長年主人公に飼われていたにも関わらず名前のなかったその猫は、北海道に向かうために用意された送迎車の中で車の運転手に「いわし」と命名されます。
その名前に至るまでの「千思万考」は、これから先の主人公の未来を暗示しているかのようです。
車中で交わされる「名前があるからこそ、意識の交流がうまれる」という話は、話し合えば話し合うほどに実体についての存在感を希薄にしていくような感触さえ覚えさせます。その様相は『羊をめぐる冒険』という物語を見事に暗喩しているやり取りなのです。
③ 永劫回帰(えいごうかいき)
宇宙は永遠に循環運動を繰り返すからこそ、人間は今の一瞬一瞬を大切に過ごすべきである、というドイツの哲学者ニーチェの根本思想。これを「永劫回帰」といいます。
旧友との邂逅や大切な人の喪失、求めていたものの不在といった事象は主人公に一体どんな変化をもたらしたのでしょうか。ヒントがあるとすれば、エピローグにあるジェイとのやりとりです。
既にいなくなってしまった鼠を共同経営者にして欲しいとジェイに頼むその裏には、始まりの場所に戻りたいという願望が隠れています。しかし同じ場所に戻れたとしても、ビールを飲みながら無為に過ごした十数年前と、幾多の喪失を味わった今の主人公とは決定的な差があります。ジェイズ・バーの場所は変わってしまっていて、隣に鼠はいません。
それを理解しながらもスタート地点に戻りたいというその行為は、記憶の中の自分と現在の自分をあえて繋ぎ、いずれ訪れるであろう未来の自分の居場所を作るための行為でもあるのではないでしょうか。
「無意味」と捉えられるかもしれないその循環行為を生み出す事こそが、今という一瞬を肯定するために必要なのです。これこそが『羊をめぐる冒険』に「永劫回帰」の思想を感じる理由ではないでしょうか。